ぐるっと読谷村~残波岬の泰期像~

カテゴリー │沖縄観光案内

ぐるっと読谷村~残波岬の泰期像~

読谷村残波岬にある泰期(たいき)像。

泰期(たいき)
かつて沖縄が琉球王国と呼ばれていた十四世紀後半、時の中国「明」の皇帝・洪武帝(こうぶてい)は、政権を取るや否や対外政権として冊封・進貢策を取った。当時、中国は魅力的な商品を産する大国であり、日本はもちろんのことアジアの多くの国がそれを受け入れ中国との交易を進めていた。
この政策は琉球の中山・察度王の元にも届き、その締結が求められた。一三七二年、察度王はただちに了解し、その弟の「泰期」を団長とする琉球初の使節団を中国に送った。これにより琉球も中国との交易の資格を取り、東南アジアに及ぶ大交易による黄金時代を築き上げることとなる。
その察度王の弟とされる「泰期」は実は、読谷山・宇座(ゆんたんざ・うざ)の人である、ということが琉球最古の歌謡集「おもろさうし」の中に表現されている。
その泰期は5回にわたって中国(明)貿易を行って歴史的使節を果たした本村の誇るべき偉人なのである。
それ故に読谷の商業活動は沖縄で一番古く、読谷の商業史沖縄で一番長い六百年以上の歴史を有すると言えるのである。中国との交易は「唐旅」と言われ、果てしなく遠方への旅であり、生命の保障の無い危険な航路であった。その旅路を五往復もした「泰期」は並の人間ではないと言える。
この初の進貢使となった我等が先人「泰期」の勇気、使命感、優れた統率力、立派なビジネス感覚そして豊かな国際感覚は、後世の我々の大きな誇りとし、つとに学び、たゆまぬ継承に励むべきことであり、「商売の神様」として象徴し、商売繁盛を記念する所似である。

~読谷村商工会発行商売の神様泰期パンフレットより~


ここでも民泊で案内をうけてる修学旅行生に遭遇。

泰期像と同じポーズをとった写真を撮ってあげ「てぃーだブログ観てね:と。

ぐるっと読谷村~残波岬の泰期像~

残波岬は数日前の嵐のような風で柵が壊れ灯台へは近づけませんでした。

この日の波も荒く崖に近づくのに少し怖かったです。

9月に撮った残波岬の夕日がこちら。

ぐるっと読谷村~残波岬の泰期像~

西海岸はサンセットが綺麗ですね。

是非夕日を観に行ったとき近くにそびえ中国の方面をを指さす泰期像もご覧いただきたいと思います。

残波岬





同じカテゴリー(沖縄観光案内)の記事
台風一過
台風一過(2017-10-29 14:44)


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。